Aug 06, 2009

クレジットカードのさらに惹かれて

移転した店に行けば、クレジットカードを作成する勧誘を受けました。なんでも、クレジットカードのお申し込みは、そのお店ですぐに使用する2000円商品券を与えるとはではないですか。思わず、すぐに申請をしてもらった商品券は速攻で使ってしまいました。そして、すぐにカードを解約したが、窓口で"クレイジー"と言っていました。当然ですよね。反省しています。
IDカードという言葉自体を聞いたことがない。 ICチップなどのカードはよく聞くけどね。銀行のキャッシュカードとか。 IDカードの仕組みはどうなっているのだろうか。全く想像つではないが。元のIDという言葉の意味を知ることができないと言うんですね。よく登録サイトでIDと呼ばれることは頻繁に来るが、まだIDの意味を知らないのだ。
 ◇地場産品に脈々と
 「国宝にプラモデルを飾ることを反対する人もいます。でも、東照宮があって静岡の地場産品があることを知ってほしい。職人の技術が形を変えて現代に現れたものの一つが、プラモデルなんです」
 久能山東照宮の総務課長、姫岡恭彦さん(52)がそう話してくれた。「バンダイ」が奉納した家康を模したガンダムのプラモデルは、社殿のさい銭箱のわきにある、小さな木箱に飾られている。
       ◇
 久能山東照宮は1617年、徳川第二代将軍、秀忠が建てた。隠居後も「大御所」として駿府城でにらみをきかせた家康は前年、75歳で没していた。その家康をまつる施設を標高約270メートルの久能山上に築く巨大なプロジェクトだった。
 造営の指揮は幕府の「大工頭」、中井大和守(やまとのかみ)正清が執った。「社殿」は「本殿」と「石の間」「拝殿」の三つの棟をつなげた造り。徳川家の力を象徴するにふさわしい、最先端の技術を動員した「権現造(ごんげんづくり)」と呼ばれる様式だった。
 01年から09年にかけて行った半世紀ごとの修復工事で、ほとんどの木材が造営当時の約400年前のまま残っていることが初めて分かった。国は昨年12月24日、当時の高い技術を伝えているとして国宝指定を官報で正式に告示した。
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 造営当時、各地から集められた職人たちが静岡に住み着き、静岡の伝統工芸の礎をつくったと伝わる。「職人の木工技術は家具作りに受け継がれた。それが木製の模型作りにつながり、静岡市は戦後、プラモデルの町と呼ばれるようになった。プラモデルは東照宮につながるんです」。姫岡さんは語る。
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 国宝指定が内定した昨年10月以降、参拝客が増えた。久能山の南側にある商店街もにぎわうようになった。久能山周辺で栽培が盛んなイチゴの収穫期を迎える1月から店を開けていた例年とは、うってかわった光景だ。
 家康のプラモデルに気付いた数人の参拝客が、写真に納めていた。姫岡さんから東照宮とプラモデルをつなぐ物語の説明を受けると、「へえー」と声を上げた。再びカメラを構えると、居住まいを正したかのように、丁寧にシャッターを切った。
 ◆静岡
 ◇伝統工芸の源流に
 江戸時代初期、駿府(現静岡市)に久能山東照宮、駿府城、静岡浅間神社を造営するための職人が集められた。その高い技術が静岡の伝統工芸の源流になったと伝わる。
 漆職人の技はやがて「駿河漆器」に転用される。江戸後期、金銀の粉で漆器に絵や模様を描く「蒔絵(まきえ)」の技法が磨かれ、駿河漆器は1867年、パリ万国博覧会に出品された。
 漆器や蒔絵の技は、ひな人形の道具「ひな具」につながる。静岡は一大産地になり、1965年ごろ、全国シェアの9割を占めた。
 大工の技術は、木工産業「駿河指物(さしもの)」に受け継がれた。漆器作りの技術と相まって高度経済成長期には全国有数の家具産地に育った。
 この木工産業は昭和初期、木製模型飛行機づくりに結びつく。戦後はプラスチックを使ったプラモデルの製造につながった。
 静岡市の「タミヤ」「青島文化教材社」や焼津市の「ハセガワ」といった企業が誕生し業界をリードした。「バンダイ」も69年からプラモデル製造の拠点を静岡市に置いている。
 ◆浜松
 ◇「やらまいか」の心意気
 浜松市を中心とする県西部に戦後、製造業が開花し、企業が世界に乗り出す。それを支えたのが江戸時代からの綿花栽培と天竜川の水運を利した製材業。そして「やらまいか」の心意気だろう。
 1人は時代が江戸から明治に移ろうとする1867年、旧吉田領山口村(現湖西市山口)で生まれた豊田佐吉(1930年没)。発明した自動織機は成功を収め「トヨタ」へとつながる。旧長上郡鼠野村(現浜松市南区)出身の鈴木道雄(1887〜1982)も自動織機で名を上げ「スズキ」に発展させた。
 バイクの製造が戦後、本格化したのは「ホンダ」の創業者で、旧磐田郡光明村(現浜松市天竜区)出身の本田宗一郎(1906〜1991)が登場してからだった。
 「ヤマハ」の山葉寅楠(1851〜1916)は今の和歌山県生まれ。浜松でオルガンの修理を頼まれ、そのまま会社を起こした。ピアノの製造を支えたのが、この地の木材加工の技術だった。ヤマハから分かれた「河合楽器製作所」とともに世界の名だたるプレーヤーに愛される楽器を作ってきた。

1月1日朝刊

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